【うつ病】うつ病と走ることについて 2016年編
レビュー記事ばかりでしたが、この話題に触れないわけにはいけません。
うつ病です。
僕は2016年3月にうつ病(当時は非定型うつ病の適応障害)と診断されました。
診断される半年前から不調が続いており、めまいや頭痛、吐き気、不眠などがありました。
車通勤でしたが、道中に「このまま対向車が正面衝突してくれたらいいのに」と思ったことは数知れずあります。
当時勤めていた会社で倒れるように動けなくなり、そのまま3か月半休職となりました。
その当時はまだハーフマラソンを1本走ったことがあるだけで、年に1~2本ロードレースに出ているファンランナーでした。
休職の最初のひと月は全く身体を動かす気が起こらず、生ける屍のような状態でした。
1ヶ月が経過したころ、ようやくランニングを再開する気力が沸き、徐々に走り出すようになりました。
最初はキロ6分半で5キロ。以前のペースと程遠いスピードでありましたが、再び走れる喜びと生きている実感があったことを今でも覚えています。
そこから週5~6回のペースでジョグ。休職中で時間だけはあったので思い立ったらジョグしていました。
そんな中何となく走った20km。
以前ハーフマラソンを走った時には、15km通過後に足が止まり、歩きながらゴールしました。
しかし今回は20kmをキロ6分ペースですんなり走り切れました。
「フルマラソンに挑戦してみようか」
そう思い立ったが吉日。新潟シティマラソンのエントリー時期が迫っていました。
例年なら10kmに出ていたところを、フルマラソンに挑戦することにしたのです。
新潟シティマラソンでは大会スポンサーのランニングスクールのようなものが複数あり、僕は酒造メーカーが主催のランニングチームに応募。
見事当選し、ランニングチームに所属しフルマラソンに挑戦することができました。
これは今後の僕を形成するうえでも非常に大きなターニングポイントとなりました。
今までほぼ1人でしか走ることがなかったのが、いきなり100人以上のランニング仲間、それも全員新潟シティマラソンに挑戦するランナー達と一緒に走る機会が得られたのです。
モチベーションも当然上がります。
このランニングチームは3か月で4回のランニングスクールと回数が少な目でしたが、それを補うかの如く自主練会を開催したり、仲間と走ることで競いあう環境が出来上がりました。
この間に復職し社内でリハビリ勤務をこなしつつ走り続け、ついに新潟シティマラソン当日を迎えます。
僕にとって初フルマラソンでしたが、連日の走り込みとモチベーションのせいか、ジョグでもキロ5が当たり前になっていました。
また、新潟~弥彦50kmや長岡~新潟70kmを走ったりしており、フルマラソンに対しての恐怖感は全くありませんでした。
目標はサブ3.5。高い目標ですが、不思議とできない目標ではないと感じていました。
そして新潟シティマラソン2016当日。雨模様で気温は16度。例年体育の日前後に行われることもあり高温になりがちなレースですが、この日は天気に恵まれていました。
雨の中スタート。オレンジ色のチームユニフォームを着用し、キロ5ペースを切るスピードで走ります。
当時のコースは10kmに及ぶすれ違い区間があり、ここで何度もチームの仲間とエールを送り、励ましあいながら走りました。
28km通過後にハムストリングスの痛みを感じ失速しましたが、何とか持ちこたえゴール。
3時間36分16秒。
ゴール後、これまでの出来事が脳裏をよぎり、「復活したんだ」と思いました。
この時はうつ病のことなどすっかり忘れていました。
仲間が支えてくれたことと、うつ病でもフルマラソンできること。
この2つが達成できたことで充実感に満ち溢れていました。
この年はどん底から絶頂まで、まるでジェットコースターのような1年でした。
以降の出来事はまた改めて書きます。